地震だ〜
2004年10月23日葬儀は、通夜以上に寂しい人数。
今日を乗り切れば、ゆっくり休めて、寝れる。
親族関係がすべて帰ったのが16時くらいだったかな。
私の家族の中じゃ休めないと思ったので、ダンナとアパートに戻り、着替え、ダンナだけ休ませて私は実家の家族の元へ戻った。
昨日の出棺前にたくさん残ったおにぎりと残ったご飯もおにぎりにして夕食にすることにした。
早めだけど、後がゆっくりできるからいいか、ってことで17時50分頃からテーブルに並べ始めた。
母と台所で洗い物をしながらしゃべっていると、ガラスがガタガタなった。
大型車でも通ったか?と思ったがそれにしちゃ激しい。
すぐに地震だと気づいた。
「地震だ!」
と私が叫ぶと、母はあんまり反応がなかった。
縦揺れだった。
すぐに横揺れになると、さすがに母も気づき、お湯を出しっぱなしで、みんながいる部屋へ走って逃げた。
この辺が震源か?と思うくらい揺れた。
テレビをつけるとすぐに地震情報が流れた。
中越が震源なのに、ここもこんなに揺れるの??
げー、でっかい数字。
余震がくるから、大急ぎでお湯を止めに行き、ガス栓もしめた。
戻るとすぐにまたでっかい地震がきた。
おさまったところで、すぐに玄関の戸を開けにいき、廊下近くの戸も開けた。
ばーさんの家のお向かいの家のお父さんが車で出かけるのを見た。
町の企業課の課長さんてことで、すぐに職場に向かったようだ。
ダンナのことを思い出し、つながらないだろうけど携帯にかけてみた。
つながった。ちなみにau。
会社からの連絡待ちだけど、つながらないだろうからしばらくアパートにいる、とのことだった。
また揺れが来ると怖いので、テーブルに並んだおにぎりやら、お菓子やらペットボトルやらを引き出物が入ったでかい袋につめこんだ。
息子は一番下の弟に、声もなくしがみついていた。弟たちが外に様子を見に出るというので、抱っこを代わったが、声も出ないようだった。
あんなに揺れたら怖いよね。
私と母は、玄関がつぶれるかもしれないからと、靴を廊下側の戸のところに運んだ。
どう考えても家にいるのは怖いので、せめて車の中にいるか、と外に出ようとしたら3回目の大きな揺れが来た。
これで外に出ることに決めた。
向かいの家の人たちも出ていた。
一番下の弟の奥さんやお父さんお母さんのことも気になり、出産予定日も近いこともあり、帰ってもらうことにした。
私たちは、両親が借りている普段住んでいる古い家がつぶれてないか気になったので、向かうことにした。
家の近くに行く車がたくさん停まっている様子が伺える。
まさか・・・。
と思ったが、出勤してきた役場職員の車だった。
家の向かいは役場の夜間出入り口になっているのだ。
家はつぶれていなかった。
奇跡だ。
震源地にいたら、完全につぶれてただろうけど。
必要なものを持ってきて、次は私のアパートに向かってみた。
ダンナは、出社していて留守だった。
ガソリンが少ないことと、私の勤務地が避難所になってないか心配だったので、ガソリンを入れがてら職場に向かうことにした。
ガソリンもセルフで給油したのだが、入れ終わった後にほかの車が次々にやってきたので、早めに入れて良かった、と思った。
職場に着くと、校長先生の車しかなかった。
一応中に入ってみると校長・教頭がそろっていた。
休みをもらったお礼と翌日の文化祭には出勤する旨を伝え、家に帰ることにした。
職場は、避難所になっているが、一人しか来なかったらしい。一応避難先になってるから来てみた、という程度らしい。
両親は、古い家では心配なので、ばーさんの家にしばらく泊まることにした。
やっとゆっくり眠れるかと思ったのに・・・。
ばーさんの置き土産か?と思ってしまった。
1日中テレビをつけて眠った。
今日を乗り切れば、ゆっくり休めて、寝れる。
親族関係がすべて帰ったのが16時くらいだったかな。
私の家族の中じゃ休めないと思ったので、ダンナとアパートに戻り、着替え、ダンナだけ休ませて私は実家の家族の元へ戻った。
昨日の出棺前にたくさん残ったおにぎりと残ったご飯もおにぎりにして夕食にすることにした。
早めだけど、後がゆっくりできるからいいか、ってことで17時50分頃からテーブルに並べ始めた。
母と台所で洗い物をしながらしゃべっていると、ガラスがガタガタなった。
大型車でも通ったか?と思ったがそれにしちゃ激しい。
すぐに地震だと気づいた。
「地震だ!」
と私が叫ぶと、母はあんまり反応がなかった。
縦揺れだった。
すぐに横揺れになると、さすがに母も気づき、お湯を出しっぱなしで、みんながいる部屋へ走って逃げた。
この辺が震源か?と思うくらい揺れた。
テレビをつけるとすぐに地震情報が流れた。
中越が震源なのに、ここもこんなに揺れるの??
げー、でっかい数字。
余震がくるから、大急ぎでお湯を止めに行き、ガス栓もしめた。
戻るとすぐにまたでっかい地震がきた。
おさまったところで、すぐに玄関の戸を開けにいき、廊下近くの戸も開けた。
ばーさんの家のお向かいの家のお父さんが車で出かけるのを見た。
町の企業課の課長さんてことで、すぐに職場に向かったようだ。
ダンナのことを思い出し、つながらないだろうけど携帯にかけてみた。
つながった。ちなみにau。
会社からの連絡待ちだけど、つながらないだろうからしばらくアパートにいる、とのことだった。
また揺れが来ると怖いので、テーブルに並んだおにぎりやら、お菓子やらペットボトルやらを引き出物が入ったでかい袋につめこんだ。
息子は一番下の弟に、声もなくしがみついていた。弟たちが外に様子を見に出るというので、抱っこを代わったが、声も出ないようだった。
あんなに揺れたら怖いよね。
私と母は、玄関がつぶれるかもしれないからと、靴を廊下側の戸のところに運んだ。
どう考えても家にいるのは怖いので、せめて車の中にいるか、と外に出ようとしたら3回目の大きな揺れが来た。
これで外に出ることに決めた。
向かいの家の人たちも出ていた。
一番下の弟の奥さんやお父さんお母さんのことも気になり、出産予定日も近いこともあり、帰ってもらうことにした。
私たちは、両親が借りている普段住んでいる古い家がつぶれてないか気になったので、向かうことにした。
家の近くに行く車がたくさん停まっている様子が伺える。
まさか・・・。
と思ったが、出勤してきた役場職員の車だった。
家の向かいは役場の夜間出入り口になっているのだ。
家はつぶれていなかった。
奇跡だ。
震源地にいたら、完全につぶれてただろうけど。
必要なものを持ってきて、次は私のアパートに向かってみた。
ダンナは、出社していて留守だった。
ガソリンが少ないことと、私の勤務地が避難所になってないか心配だったので、ガソリンを入れがてら職場に向かうことにした。
ガソリンもセルフで給油したのだが、入れ終わった後にほかの車が次々にやってきたので、早めに入れて良かった、と思った。
職場に着くと、校長先生の車しかなかった。
一応中に入ってみると校長・教頭がそろっていた。
休みをもらったお礼と翌日の文化祭には出勤する旨を伝え、家に帰ることにした。
職場は、避難所になっているが、一人しか来なかったらしい。一応避難先になってるから来てみた、という程度らしい。
両親は、古い家では心配なので、ばーさんの家にしばらく泊まることにした。
やっとゆっくり眠れるかと思ったのに・・・。
ばーさんの置き土産か?と思ってしまった。
1日中テレビをつけて眠った。
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