日直勤務の日。
日直にはいろいろと雑用があって憂鬱なのだ。

まず出勤後すぐに普段2年生が世話をしている比内鶏のえさやり、水替えをやらねばならない。
オス1羽メス1羽ヒナ4羽。
ヒナもかなり大きくなってきていて、はっきり言ってかわいくない。怖い。
前任校でも土日に当番を決めて世話をしていたが、小地鶏という種類でそれほど大きくもなかったが、それでも嫌だった。
比内鶏は、普通にでかくて怖さ倍増だ。

この日は朝からどしゃぶりで、鶏たちはちょっと高いところに登っていた。
その下で上を気にしながらせっせとえさを入れる私。
油断してる時につつかれそうな感じがして本当に怖い。
その後、水を替えてやり完了。

一応上だけウィンドブレーカみたいのを着てフードもかぶっていたけど、滴り落ちる雨のせいでパンツ↑はビショビショ。

プール管理もしなくちゃならないので、着替えずにそのままプールに向かった。
水温を計り、残留塩素を測定し、PH値を測定し、気温を見て校内に戻った。
更衣室に置きっぱになっていたジャージに履き替え教務室へ。

用務員さんがエアコンを除湿にしてくれていた。
ありがと〜〜。

びっしょりになったパンツ↑を持って家庭科室へ行き、洗濯機で軽くすすぎ、脱水。
ついでにウィンドブレーカとサンダルも脱水機にかけさせてもらった。

この日は午前中、ほとんどの職員が出張だったため、教務室に置いてある扇風機の上にパンツ↑とウィンドブレーカをかけて干させてもらった。

着ていったタオル地のTシャツも肩あたりと腰あたりがビショビショになっていた。
ちょっとしみこんだらしい。
ちょっと距離があるとはいえ、向かいは教務室で脱ぐ時にドキドキしたが、誰の顔も見えないのを確認してコソコソと脱水機に放り込んだ。
あんまり意味がなかった。

教務室に戻ると空気検査の人と校長がやってきて、応対を交代した。
検査する教室に案内し、教務室に戻った。

午後から地区へのプール開放があるのだが、どしゃぶりなため中止に決めていた。
落ち着いてる時間帯にさっさと電話連絡をしたかったのだが、一応校長に断ってみたら「9時じゃ早いんじゃないの〜。」と言われ、「じゃー10時頃になったらかけます。」と言って待つことにした。

10時頃になると何だか晴れてきた。
判断に迷う時である。
11時半に判定し、連絡する決まりになっているのだが、その間にも天気はよくなり、気温も上がってくる。
監視の係りになっている保護者2名ほどからプールがあるのかないのか問い合わせがきたりした。

条件的にはやれるけど・・・判断に迷っている間に職員が出張から帰ってきたりした。
相談してみると、校長先生に決めてもらえば〜、との返事だったので、判断を仰いだ。
一応ヤフーで天気予報を見てから。

校長も同じ天気予報を見て「中止だな。」と一言。
こんなに迷うなら、どしゃぶりの時にさっさと連絡しとけばよかったよ、と思った。

プール日直の先生と一緒に連絡網で児童や保護者に電話をかけまくって午前が終わった。

プールがないので、午後はゆったり過ごせた。
お盆過ぎたら学校のプール開放はやめてもらいたいもんだ。
どーせ子どもたちもほとんど来ないんだし。
プール用の薬品ももったいないよ。
2学期もプールやめようよ〜〜、だ。

今年の夏季休業中の日直はこれで終わりだ。
何事もなく終わってよかった。

コンタクトレンズ

2004年8月17日
8月10日にコンタクトレンズを買い、13日から装着しているのだけど。
なかなかゴロつき感が消えない。
まだ1週間経ってないから仕方ないんだろうけど。

予備知識もないままに買いに行ったんだ。
とりあえずは、コンタクトが合わないかもしれないから使い捨てで様子をみて、大丈夫そうなら長期間使えるハードを買おうと決めていた。

手っ取り早くメガネス○パーへ行き、コンタクトを買いたい旨を伝えると、視力測定後商品についての説明を受けた。

私は、てっきり先に眼科のほうへ行って受診し、そこで処方箋をもらってから商品を決めるのだと思っていた。
本当ならそうなんじゃないのか?

でも眼科医かどうかもわからんようなオッサンが口早に説明をはじめた。
私くらいの乱視だと使い捨てでは割高になるだの、初めてならソフトのほうがいいだの、このタイプが乱視用では価格も低くいいだの、乱視用になると普通のものより少し大きめになるだのetc。

何かもっとゆっくり時間をかけて説明していろいろ考えながら決めるもんだと思ってたよ。
それは、テレビのCMのイメージからなんだけど。

結局オッサンの言うままに商品を決めて買ってしまったのだ。
何もわかんないから仕方ないか、と自分に納得させた。

13日に商品を受け取り、そのまま上にある眼科へ。
11時から受付で12時から診察開始の眼科で、11時ちょい過ぎに入り、帰ることができたのは13時20分頃だった・・・。

そんなモヤモヤした気持ちが残ったまま装着しているコンタクト。
ゴロつき感はあるものの、メガネと違って端っこにできる歪みがなくて大変よろしい。
打ちっぱなしの時も汗でメガネのずり落ちを気にしなくてもよい。
ふつーのサングラスがかけられる。
もっと早く買えばよかった、と本当に思う。

慣れたらそのうちハードに変えよう。
手入れが楽だし。(今のソフトも楽だけど)

久しぶりの出勤

2004年8月16日
たっぷり休んだ後の出勤はきつかった。
何がきついって早起きかな。
休みの間は7時ちょい過ぎまで寝てたし。

やっとこ起きたから、弁当用意する気もなかった。
ダンナが休みってこともあったんで、朝ごはんも何も用意せず、すべてのことをまかせっきりにして家を出た。

途中でコンビニに寄り、お昼を調達。

出勤すると机上は書類であふれていた。
来てよかった、とは思ったけど・・・やる気が出ない。
出勤してきた人も私を入れて4人だけ。
人が少ないとやる気が出ないのはなぜだろう。

休みの間、ずっと息子と一緒だったため、息子のことばっかり考えていたような気もする。
まるで育休から復帰したときのようだった。

3歳になると連れ歩くのも楽だし、ご飯もある程度自分で食べれるし、オムツの用意もいらないし、遊ぶのも楽しいし。
もっと息子といたかったなぁ、としみじみ思った。
期間限定だから思うことなんだろうけどね。

明日は午後から休みをもらった。
何だかんだ言って、自分の時間のための休みなんだけどさ。
へへ。

不満デー

2004年8月15日
14日15日ダンナの実家へ。

15日は退屈だった。
ダンナがどっか行こう、と言ってくれるのを待っていたがそんな気配もなかったので、ダンナには「お義父さんと打ちっぱなしでも行ってくれば?私と息子はどっか適当にブラついてくるから。」と言った。

最初は私らと行動すると言っていたが、煮え切らない感じだったので「お義父さんは、あんたと打ちっぱなし行きたいんだから、行ってくればいーじゃん。」とさらに言ってやった。

本当にお義父さんと打ちっぱなしに行った。
土地に不案内な私を残して。

お義母さんは、家のことに一生懸命でお昼のことも頭にないし、というよりお昼用意する気もなさそーだった。
私だってここでお昼いただく気もなかった。

ちょーどいいから私と息子でジャ○コに行って、お昼食べてきた。

途中ダンナからメールが来て、子連れでも大丈夫だからおいで、みたいなことが書いてあったが、私は自分で言った事とはいえ、頭にきていたので「行かない」とだけ返信をしておいた。

8月8日以降うんちをしていなかった息子もお昼を食べたらようやく出た。
夜用オムツをしていたのでトイレに連れて行き事なきを得た。
ように思えたが、その後めっちゃゆるいうんちをふつーのパンツにしてくれた。

車椅子用のトイレには小さい子用の洋式トイレもあったので、そこに行こうとしたら車椅子の方が待っていたので、ベビーシート付の洋式トイレに駆け込んだ。

トイレの水で汚パンツを洗い、でかくなった息子をベビーシートに寝かせ尻を拭き散々だった。
しかしあの実家にいるよりはよい。

実家へ帰るとお腹をすかせた大人たちがか○ぱ寿司に行くと言った。
私らは腹いっぱいなんだよ。

だけど一緒に行ったさ。
私と息子は何も要らないというのに、勝手に私らに茶碗蒸しを頼む義母。
食いたくもないのにむりやりそれを食う私。
それほど食べる気もないくせに蒸しえびと玉子の寿司を食いたいと言う息子。
頼む義母。
1個ずつしか食わなかった息子。
残りを食うダンナ。
「おかあさん(←私のこと)何も食べないの?」という義父。
私と息子がしっかり昼を食ったのを知っているくせに「何もいらないの?」と聞くダンナ。

もーすべてが気に入らない私。

飼い犬と同じように孫もかわいがってくれればいーのに。
おもちゃさえ買ってやればいいとでも思っているのか。
小さい子に生活をあわせてやろーという気はないのか。(昼ごはん)
たまに会うのに家事を優先するってなにさ。
帰ってくるんでしょ?って聞いたのそっちじゃないの。こんなんだから帰るのやなんだよ。
掃除もしてない部屋に泊まるのやだよ。私んちより汚いんだから。

妻が不案内な土地をうろつくの心配じゃないのか?
妻と子が退屈してるのわからんのか?
わかるわけないよね、資格試験の勉強のほうが大事そうだったもんね。
ゴルフの腕上げるほうが大事だもんね。

ダンナに対する不満は私がまいたタネでもあるけど。
義両親に対する不満は一生持ち続けるのかもしれない。
どんないい両親でも。

水害後

2004年8月13日
中之島町に住んでいる水害に遭われた元同僚のところへ息子と共にお見舞いを持っていった。
もう異動してしまった人も含め、前任校の若手?の数人からもお見舞いを預かって。

家を新築している途中で水害に遭ったため、古い家はすべて壊し、教員住宅に仮住まいしている。

水害の写真をたくさん撮ってあって、すべて見させてもらった。
低い土地ではあるが、家がほんの少し高いところに建ててあったとのことで、1階の浸水は130cm程度と言っていた。

決壊した堤防から200mと離れていない場所だ。もしかしたら100mくらいだったかも。
きっと高いところに家が建っていなければ2mくらいは浸水したと思われる。

倒壊した家の散材が家の敷地に入ってきたらしいが、たまたま家を建てる予定で重機などが敷地にあったため、家のところまではこなかったとのこと。
その日は、ダンナ様と妹さんがお昼に帰ってきていて、目に付く貴重品などを2階に上げてくれたこと。
新築する家の基礎ができあがった日で、大工さんも家のほうに避難してきたということ。
家にいた人は、結局逃げられず、ヘリコプターで救出されたこと。

などなどいろんな話を聞いた。
新しい家ももしもっと早く建て終わっていたら大変なことだったろう。
基礎だけで済んで良かったね、とお互い言った。

元同僚の妹さんが息子の相手をしてくれたので、ゆっくり話すことができた。
私よりも20歳年上の方だけど、とても若々しくて元気で大好きだ。

それでも今回の水害で、上司の心無い対応に涙もしたとのことだ。
そんな話を聞くと、私もいろんなことを勉強して覚えて助言できるようにならなきゃなぁ・・・と改めて思ってしまう。
いや、しなければね。

2時間ほどおじゃまして、水害に遭った土地を見せてもらって帰ることにした。
新築する家の基礎もすべて取り払われていて、物置小屋だけが残っていた。
倒壊した家があった場所や家を建て直すためにすべて取り壊した場所があったりで近所がスカスカになっていた。
決壊した堤防がすぐそこに見えるくらいだった。

塀が水に押された形のままにまっているお宅もあった。
窓や壁に泥の後がまだまだ残っているお宅もあった。
水害の爪あとはまだまだ残っていた。

元同僚の家が建つのは10月頃になるらしい。
その時にまた遊びに行くことを約束した。

その頃にはもとの生活に戻れてるといいなと思う。

神社へ

2004年8月12日
地元の神社へ息子と出かけてきた。

賽銭を投げてお参りしようと思ったところ、私らより一足早く着いた方たちがいて待つことに。

なのに、お参りした後もしゃべっていてなかなかどいてくんなかった。
すぐ後ろで待ってんのに。

そんなしゃべりはどいてからもできるじゃんかー。
気の弱い私だが、「待ってるんですけど」と言いそうになった。
が、混んでるわけでもないので、どくまで待った。

息子はわけもわからず、賽銭箱に10円(小銭がこれしかなかった)1枚を投げ入れ、私のすることをニヤニヤながめていた。

その後、山頂へ向かうロープウェーに乗った。
その山からは越後平野がほぼ一望でき、佐渡島もよく見えるのだ。
360度絶景パノラマだ。
小さい子にはつまらんだろーけど・・・。

ここでもかなり浪費してしまった。
・ロープウェー代(往復大人分のみ・3歳以上は料金必要、ばっくれて息子は無料で乗り込む
・カキ氷ソフト(カキ氷の上にソフトクリームがのっかってるやつ)
・クライミングカー&パノラマタワー代(これまた大人のみ・息子ばっくれ)
・爽健美茶2つ
・ドラえもんのお菓子のおみやげ
・昼食のラーメン

山頂なので物資が高め・・・。痛かった。

帰りに地元ではわりと有名なジェラート屋さんに行った。
相変わらず人がいっぱいだった。

さっさと買って、さっさと食い、家に帰った。
息子はその後、なが〜い昼寝をしてくれたのだった。

植物園

2004年8月11日
昨日の夜21時半過ぎ、友人が枝豆を持ってきてくれた。
大変大量だ。

朝ごはん後、それらを洗ってゆでた。
あまりの量なので、実家におすそわけで持っていった。

実家に行ってまったりさせてもらったが、それだとあっという間に1日が終わってしまうので、実家の両親も連れて県立植物園に行ってみた。

食虫植物展をやっていた。
2度触ると0.2秒の速さで葉が閉じる、という植物があったのだが、つついても反応がイマイチというより全く葉が閉じなかった。
つつかれすぎたのだろうか・・・?

熱帯植物なんかもあるので、そのコーナーは蒸し暑くて過酷だった。
息子なんかは汗だらだらで、歩くのすら嫌がり、抱っこする羽目になった。

暇つぶしにはなった。
植物のことが詳しければ楽しいのだろうけど・・・。

今度は大英博物館の至宝展にでも行きたい。

浪費デー

2004年8月10日
9日から夏期休暇。
ダンナと休みを合わせられなかったので、息子と二人で過ごした。

水害でダメにしてしまったダンナの財布を買いに出かけた。
デパートとか行くと必ず息子はミニカーなどをほしがるので、言いきかせた。
「お父さんの財布を先に買ったら、○○のおもちゃ1個だけ買ってあげるから、お母さんの言うこと聞くんだよ。」

本当はこんな交換条件のようなこと言いたくないんだけどな。
結果、かなり言うことを聞いてくれて助かった。

購入品
・ダンナの財布
・私のバッグ(安い)
・トミカ1個
・ミ○ハウスの服(安めのもので、さらにセール品)
・初コンタクトレンズ(支払いのみ)

自分のものに一番金かけてもーた。

打ちっぱなし

2004年8月9日
ダンナ土曜代休。
私夏期休暇。

しかし、仕事が気になり1時間半ほど片付けてきた。
その後、子守をしてくれるというダンナの言葉に甘え、モスで昼を食い、久々に打ちっぱなしに行った。

ネッ友に大変ゴルフのうまい人がいて、私の動画を見てもらったところ、いろんなアドバイスをしてくれた。
それらを試しながら打った。

ひゃ〜飛んだ〜。
今までの低空飛行に慣れていたせいか、打った後どうしても目線が地面近くになってしまうのだが、ボールの姿はなく、目線を移動すると空の近くに上がっていた。

こうも違うもんなのか・・・。
金出してスクール入ってプロに教えてもらっていたのに、何だよぅ、という感じだった。

これで少しやる気が出た。

失敗〜。

2004年8月8日
息子うんちあり。

しかしながら、パンツの中に見事にしてくれた。

踏ん張っていたので、「トイレ行く?」と何度も声をかけたのに「まだいい〜。」との返事だったので、様子をみて本当に出そうになった頃連れて行こうと思っていたら「ウンチ出た〜。」との報告があった。

こっぴどく怒った。
いつも言っていることは、「出る。」と言って間に合わずに失敗したのは怒らないけど、出るのがわかっているのに言わずに失敗してしまったのは怒るんだからね、と。

息子は泣きはしなかったけど、うる目になって次からはちゃんと教えると約束をした。
こんな時はかわいらしくてギュっとしちゃう。

しかし、うんちの失敗だけは勘弁してほしいものだ。

充実した日

2004年8月7日
ダンナが泊まりで仕事のため、息子と二人で留守番。
しかし、私らの予定はすでに決まっている。

11時半に前任校の同僚と待ち合わせをして昼ごはんを食べる。
私が個人的に親しくしてた元同僚に水害のお見舞いを持っていくので、他の同僚からも渡してほしいと言われ、預かるための待ち合わせだ。

それほど親しい相手ではなかったので、当たり障りのない話をして別れる。

19時からの花火に備えて息子を昼寝させる。
今年は友人二人を誘って花火見物。

海のある町(前任校のある町)なので、海空・海中花火が見ものなのだ。
しかしながら、景気も厳しい世の中なので、3回ほどしか上がらない。

途中必ず中だるみ、眠くなる。
息子は帰りたがる。

最後に近づくと大スターマインだの超特大スターマインだの超特大レスビアスだのと盛り上がってくる。
一番最後は毎年地元の大きい企業の花火なのだが、3尺玉はやめて、レスビアスかなんかになっていた。

見事な花火だ。

ほんの最後の何発かでまた来年も来よう、と思うものだ。

帰りは車の渋滞がひどい。
これもわかりきっているので、ちょっと離れたところに車を止めておき、歩いて移動するのだ。

歩いてる途中で、これまた親しくしていた元同僚(調理員さん)に声をかけられる。
地元の人なのに車の渋滞にはまっているではないか。

助手席に旦那さんが乗ってたのであいさつをし、今度あそぼーと声をかけ、彼女らを後にする。

無事車に乗り込み、地元の人しか通らないような細い山道を抜け、渋滞に巻き込まれず家に帰ることができた。

たまにはいろんな人に会うのも新鮮で良かった。
動きやすい人数で集まるのが私は好きなようだ。

息子の相手をしてくれた、昼に会った元同僚・花火に付き合ってくれた友人2人、どうもありがとね〜ん。

6日分

2004年8月4日
7月30日
息子2度にわたる排便。

7月31日
アパートにお友達が遊びに来てくれた。
息子は、他の子たちとケンカせず、遊んだ。
おもちゃも全く嫌がらずに貸していた。
よしよし。

8月1日
アルビレックス新潟とバレンシアCFの試合を観にいった。
4−2で負けはないとみて、試合終了20分前に退場し、帰りの混雑にも巻き込まれず早々に帰宅できた。
私らが帰った後、もう1点追加し、5−2でアルビの勝利だった。
・・・Jリーグではなぜ勝てないのだろうか。
観戦中、息子に何度も「おしっこ出る。」と言われウンザリ。
出なかったことのが多かった。

8月2日
午後から健康診断あり。
血圧が妙に低く、計測してくださった方も心配そうな顔をされた。
94−65だったかな。
午後から測って上が100切ったことなんて今までなかったよ。
体調も悪くなかったけど。
たまたまだったのだろう。
その後、前任校に行って、水害に遭った方にお見舞いを渡し、仕事の邪魔をして帰った。

8月3日
日直勤務。
締め切り間近の仕事をひたすらやった。

8月4日
午後から年休をもらい、またまた前任校へ行き、2日に会えなかったもう一人の水害被害者にお見舞いを渡した。
その後、水害のあった日に赤ちゃんを産んだ友人のところへお祝いを渡しに行った。
女の子なのだ。うらやましぃー。

息子がついにトイレでウンチをした。
これで寝るとき以外はパンツでオッケーだ。
パンツも朝はかせたのと同じのをはいてることがほとんどだ。
あっさりはずれたのを見ると、のんびり待ってて良かった、と思う。

21時過ぎに急に疲れが出て、体が重くなった。
風呂上りの息子に気力でパジャマを着せたが、ハミガキまではできず、ダンナに頼んだ。
そーだ、ダンナは夕飯の皿も洗ってくれてたんだ。
あんがとね。

横になった体を起こせないまま、私は眠ってしまったのだった。

外出先のトイレ。

2004年7月27日
今日はダンナが休みだった。
ただ組合がらみの用があるとのことで、息子は実家に預けることになった。

息子を迎えに行ってアパートに戻ってみるとダンナがすでに帰宅していた。
朝の茶碗などを洗っていてくれて助かった。
ありがたいことに夕飯は居酒屋でしようと言ってくれた。

わりとよく行く居酒屋にしたのだが、サービスでお子ちゃまにはお通しでアイスクリームが出てくるのだ。
ありがたいのだが、できれば最後に出てきたほうが良いのだが、やはり「最後にしてください。」とは言えなかった。

サービスで出てくるのにそんなこと小心者の私には言えない。
ダンナも言えなかった。

途中何度か息子に「おしっこ出る。」と言われてトイレに連れて行った。
結局出たのは1回だけだったんだけど、多分トイレの勝手が違ってなかなか出なかったんだろうな。

ほかの人は、外出先の洋式トイレではどんなふうに用を足させているんだろう。
今回は、立たせて便座もあげてさせてみたんだけど、イマイチおしっこの出が悪かった。
かっぱ寿司に行った時には、補助便座があったから問題なかったんだけど。

めんどくさくて「オムツにしていいよ。」って言おうかと思ったくらいだった。
でもトレパン用のオムツだったから、されるとズボンまでぬれることになっただろうけど。
頻繁に「トイレ行く。」って言われると親のほうがめげそうになるもんだったのね・・・。

家に帰る頃、私のおなかがなんだかへんな感じになった。
着くと同時にトイレへ駆け込んだ。
こないだのカミナリのような音が私のお腹から聞こえてきた。
しばらくトイレにこもった。

そういえば、お昼近くに何となく体が変だったような気がした。
何ていうのか酸素不足のような水分不足のような・・・手がしびれるような感じがあったのだ。
これって飲みすぎたときや日射病になりそうなときに起きる現象に似ているんだよね。

食べ合わせも悪かったのかもしれないけど、まだ体調がよろしくないのかもしれない。
これ書いてる今も手が何か変だし。
やだなー。

1週間

2004年7月26日
かなりサボった。
19日以来、息子のうんちがないような気がする。
今うなっている。
トイレへ行くよう促しているがダメなようだ。
っち。

息子の風邪は軽くですんだ。
んで、私は23日の午後から24日の午前まで職場の旅行だった。
県内の温泉。

体調がイマイチだったにもかかわらず、飲んでうたって踊って麻雀教えてもらって、寝る頃吐いた。

吐くほどの量は飲んでいなかったのだが、やはり胃の調子が悪かったらしい。
いや、悪かったのだ。
だって昼ごはんの後、胃薬飲んだんだもん。
薬が効きすぎて忘れちゃったんだな。
24日は昼過ぎまでアルコールが体内に残ってるような感じだった。(指先がしびれてた)

昨日はすんごい雨とカミナリだった。
ダンナの車をダンナの会社に取りに行って、ちょいと用を足して家に着いたころどしゃぶりになった。

「家についてから降ってきたね〜。」
なんてのんきに言ってたらすごいカミナリ。
しばらくしてダンナの携帯がなり、見事呼び出し。

また会社に行ってもーた。
結局徹夜で復旧となったらしく、今日の夜送別会してから帰ってくるらしー。

息子がクサー。
どーやら出たらしい。

熱・下痢あり

2004年7月19日
昨日の夜から熱が上がった息子。
体が熱いためか、すぐに眠れなかったようだ。

私は食べすぎで胃が痛かったためすぐに眠れなかった。
一応胃薬飲んだんだけど。

朝起きたら、息子の体はまだ少し熱かったが、みるみる汗をかき、熱も下がっていった。
ちょっと楽になったのか、軽く朝ごはんを食べたあと眠ってしまった。

余計なことをしなきゃいいのに、私は床で寝てしまった息子を布団に運び、目を覚まさせてしまった。
それから寝ることはなかった。

ただ大量の下痢をしてしまって、オムツから漏れたのがダンナのシーツについてしまった。
臭いなんかが昨日の水害の汚泥に似ていたような気がしたのは私だけだろうか・・・。

おなかの具合がよろしくないようなので、今日はずっとオムツのままだった。
おならをするたびにちびっとブツがついたりしたから。

本人は元気そのものだが、食欲はあまりないようだ。
いつもあんまり食べないけど。

明日にはよくなっているとよいのだが。
わたしゃ明日だけは休めないのじゃ。

風邪ひいた〜。

2004年7月18日
16日の金曜日、頭痛がしていた。
まぁそれだけで終わったのだけど、本日息子が風邪を引いてしまった。

微熱と鼻水。
元気があるのでたいしたことはないから良かったけど。

昨日あたりやたらくしゃみをしてたんだよね。
やっぱりきたかって感じだ。

順調だったトイレも中断しそうでいやだなぁ。
私がなまけそう。

被災地

2004年7月18日
ダンナに誘われ、水害にあったダンナの後輩の社宅へ手伝いに行った。
自動車では移動が難しいので、会社まで自動車で行き、会社が急遽買った自転車を借りて現地へ向かった。

テレビの映像どおり道路の両端には水に浸かった家財道具やゴミが山のようになっていた。
昨日雨が降っていたので、においはそれほど気にはならなかったが泥臭いのと消毒臭いのとで何ともいえなかった。
天気が続けば、においはもっとひどくなるだろう。

社宅はひどいことになっていた。どこの家もそうだったけど。
ダンナの後輩の家は、親戚がいて人手が足りていたので、もう1件の社宅を手伝った。
奥さんは県外の実家に避難していて、家族が誰もいない方だった。

想像通り、女手はまだ必要なかった。
水に浸かって重くなったものは、男性じゃないと運べない。
私がしたことといえば、使う予定の家具を洗ったり、拭いたりすることくらいだった。

水も少ししか出なかった。
2箇所で使うと3箇所目は全く出なかった。
これでは洗う作業もままならない。

使うもの捨てるものの選別も奥さんを無視してできるわけもなく、昼前には解散となった。

帰る途中、友人の住まいも確認しに行った。
2階にあるので、家財なんかは無事なようだった。電話を入れてみたら、ダンナさんの実家のほうが大変で、片付けている最中とのことで早々に電話を切った。

三条市上空はヘリコプターが行き交っていた。
今、我が家の上空もヘリが行き交っている。

非力な自分

2004年7月15日
ウンチあり。

水害の後の悲惨さが何とも言えない。
つい考えてしまったのが、地震とどっちがマシかってことだった。
地震の方がやだな、私は。

ただ昨年の9月からそろえていた非常食や避難具なんかは、今回の突然の水害じゃ役に立たないなと思った。

私もそうだけど、地元の住人の方たちもまさか堤防が決壊するほどの水の量とは思っていなかったはず。
避難勧告が出てたとしても、ちゃんと避難する人がどれだけいたことだろう。
決壊した刈谷田川は、普段は水の量が少なくて流れも穏やかだ。
昔から暴れ川と言われていたらしいけど。

そういえば、10年位前の大雨のときも水位がかなり上がってて不安になったことがあったな。
通勤路が刈谷田川の堤防の道路だったんだ。

仲良くしてもらっていた先生の家が水に浸かり、同期の事務の人の学校も水没し、友人も14日の夕方にやっとゴムボートで救助されたりし、すぐ近くで平和に過ごしていると何かやれることはないかと思う。

何をしたらいいのかわからないし、現場までは行けないのだろうけど。

水は足りてるのか、着替えはあるのか、お風呂やハミガキはどうしてるのか、家族の人たちは無事か。
他県から救援物資が届いてるのに、すぐ近くの私たちが何もできていない現実がいらだたしい。

7.13水害

2004年7月13日
エライことになってる、新潟中越地域。
こんな水害初めてだ。

実は、エライことになってるのを知ったのは14時頃テレビを入れたときだった。
私が住んでるところや勤務しているところは全く何にもなっていなかった。

町の教育委員会から近隣の市・町で大雨対策をとって児童を下校させているが、こちらの学校では何か対策を考えているか?というような電話をもらったのだが、そんなことしなきゃならないほどか?というくらいの雨だった。

確かに学校の近くの用水はかなり増水していたけど。

結局5校時終了後、放課で集団下校となったのだが。

テレビ映像はびっくりするものだった。
私の馴染み深い市や町が冠水していたり、滝のように水が流れていたり。

三条市・中之島町には知り合いが数人いるので、メールを送ってみた。
三条の友人や知り合いは今のところ2世帯が浸水してて避難したり身動きが取れないらしかった。
中之島のお世話になった人は、家の1階が浸水で、勤務している学校から動けないとのことだった。

ダンナは三条市内で勤務しているのでもちろん帰ってこれない。電力会社だからこういうときはなおさら。

前任校の学区もかなり冠水したらしい。
陸の孤島になった地区もあるようだし。

目と鼻の先の市町村でとんでもないことになっている。
ここはとても平和なのに・・・。

見慣れた、行き慣れたところが水に浸かってる現実がまだ信じられない・・・。
*******************
7月11日
ウンチ少。
7月12日
ウンチ小。
毎日毎日毎日暑いーーーーーーー!

私の職場は小学校。
刃物事件があった県内の。

刃物事件があった小学校は、私が通っていた高校のすぐ近くで、しかも今年度私と入れ違いで出て行かれた先生の赴任先。
そんでもって生徒指導主任をなさっているようなので、毎日大変だろう。

明日は、緊急全県教育長及び校長会がある。
『命の尊さ』うんぬん、て指導があるんだろうけどね。
子どもに教えるのは難しいよ。きっと。

で、こんなことが書きたかったわけじゃない。

そう私が勤めているのは市町村立小学校。
教室にはエアコンがない。

設置されているところは
校長室・教務室・保健室のみ。

今の職場の方針は
『児童が学校にいる間はエアコンはつけない』
ってことだ。

仕事になりません。
6校時まである日は16時からしか入りません。

8時10分から16時までこなした仕事量と16時から17時30分(退勤は16時55分)までこなした仕事量がさほど変わらないと思うのは私だけだろうか・・・。

確かに他の先生方や子どもたちは暑い中授業をしているし、受けている。
その間私たち級外(クラスをうけもっていない人のこと。7学年部とも言う)は、涼しいところでお仕事〜ってのも気が引けるもんなのだけど。

でもさー、授業が終わってしばしの休憩取りに来た先生たちだって暑けりゃ休めないじゃーん。
しかも今の学校の教務室って2階にあって、学校中で一番暑い場所なんだよ〜〜。
も、勘弁してぇ。

そんな暑い中で給食を食べるので、半分は残ります。
しかも口内炎あり、なもので余計に食べられません。

夏休みに入る前がダイエット勝負かな・・・。
ふぅ。
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最近の息子は、『アホの坂田』の坂田師匠の踊り?に似た動きを汗をかきながらよくやる。

見ていて楽しい。

こういうのを他の人の前でやれるようになるといいんだけどね。
ヤツはプライドが高いからしないんだろうけど。

今度動画で撮っておこう。

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